ひとり綴り

自分

子どものことを考えていると

自分のことに行きつきます。


どうして勉強しないんだろう

どうしてやる気をださないんだろう

自分の人生なのに、本当にそれで良いのだろうか?


私は、自分が後悔しているから、
子どもには後悔のないように、
と思うのです。

では、

私は何に後悔しているのだろう?


勉強をしなかったこと?


では、

勉強していたら、どうなっていたのだろう?


仮にやり直せるなら、

私はどうするのだろう?


当時、何かしら窮屈さを感じていて、

自由に好きなことをしていなかった気がする。

学校で目立つことをするのは嫌だから、

目立たないように静かに過ごしていた気がする。

それで、ぷすぷすと、不満がくすぶっていた気がする。


しかし

それも、

今になって思うと、

おかしな行動をしないように、

自分にブレーキをかけることで、

世の中での過ごし方を学んでいたのではないかと、

思えます。


もし

私の子どもも同じなら、

今は

何かしら不完全燃焼で

不満がくすぶっているのかもしれない。


それが、

思春期というものなのでしょうか?



その後、社会に出て、

自由が増えて、

少しずつ、やりたいことや

興味のあることに手を出して、

失敗したり

やり直したり

しながら、


自分のアイデンティティーを築いていくものなのでしょうか?


だんだんと

子どものことと
自分のことが

一緒くたになってしまいますが



子は親の鏡、

といいますか、

子の姿をみて

自分をみているような

気になります。



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お読みくださり
ありがとうございました(*´-`*)ゞ