ひとり綴り

時間

夫婦について、考えたことがある。

夫婦って、何だろう。

一緒に過ごす時間が長く、記憶や思い出を共有していること。と思った。

実際、私達夫婦はあまり会話が多くないが、

テレビで見る風景を見て、

あそこ、行ったよね、

と話せたりする。

子どもはまだ小さかったので覚えていないけど、その場所へ一緒に行った時の話ができる。

同じ事柄を思い出せる、共有できる、

こういうことなのかな、と思った。


   

そう考えると、思い出って、大事だな、と思う。 






また別の話で

部屋を片付けようと思って、使っていないものを捨てようとする。 

使うものではないけど懐かしくて捨てられないものが、たくさんある。

子供の小さい時のもの。

将来、子どもが見ることがあるかもしれない。

何でもかんでも捨ててしまって懐かしいもの何にもナシ では、申し訳ない気がする。


母として、置いておいてあげるもの だと思ってしまう。






夫の物も勝手には捨てられない。






では
自分のものを捨てるしかない。



今回捨てる決心がついたものは、
お料理のレシピ。

いつか作るかもしれないと、わざわざ切り抜いておいていた物。

もういらない。
 
今やネットでなんでも調べられる。

切り抜きは、もういらない。




古いものに固執するのは、よくない。

過去はもう終わり。

今、が大事。

過去をすっきりさせて、

今に目を向けよう。




その方が、家族にとってもいいはず。




そうなってくると、 
 
はじめに書いた、夫婦とは、思い出を共有すること…、


これも、過去のことなので、いらないものなんだろうか。



では、夫婦って、何だ。



夫婦も、共有した時間ではなく 今 が大事ということか。
     




この前夫が何年か前の話をして、私が思い出せずにポカンとしていたことがある。


私は申し訳なくて…


夫は覚えているのに 私は忘れている。


夫はわたしにも覚えていてほしかったはず。


愛情が、いや、思いやりが、足りない気がして

申し訳なかった。






高齢化が進み、夫婦の片方が認知症になり、パートナーが介護している映像を見た。

老老介護だ。


夫の両親もそうだった。


認知症の義母を介護する義父が倒れて亡くなった。 

  
亡くなってから、お義兄さんは泣いて後悔していた。


お義父さんは とても優しかった。


ほんとうにお疲れ様だった。






老老介護の映像を見て、私もあんなふうになりそうだと思った。

  
認知症になると、記憶がなくなる。


旅行に行った思い出も、日常の出来事も、何もかも、忘れてしまう。

相手が誰なのかもわからない。



介護する方は、どんなに献身的に支えても、

それが誰だかわかってもらえないのだ。
 


その映像の人は、それでも、

この人がいないと寂しいから

と言って、介護を続けておられました。 




過去の記憶がなくても、

今、一緒にいる、

それが夫婦なのだと思いました。



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あっちこっち バラバラな文章です(;´Д`)

お読みくださりありがとうございました。