ひとり綴り

子どもがかわいい。
個性的な子で、元気があって、私はいつも助けられている。 
この子がいてくれるから、私はこうしていられるのだと思う。
自己中心的な発言があり、嫌なことがあると機嫌が悪くなり、悪態をつく。
私は聞き流すようにしている。
この子は、悪態をつくことで、嫌な気持ちを収めようとしているのだ。
以前の私なら、同じように怒り返していた。
私が怒ると子も更に怒り、二人ともぷんぷんで、状況は更に悪くなる。
子のことを自分勝手と言いながら、私こそ、むかむかする気持ちを子にぶつけ、言ってはいけないことまで言ってしまったこともあるはずだ。
今は、聞き流しているので楽だ。
楽するために適当にいなしているつもりはない。
子は悪態をついた後、少し落ちつくようで、すんなり次の行動に向かえていると思う。
今はそれで良いのだと思う。
やっていることは幼稚だけれど、その幼児の頃、私はこの子を押さえつけてきた。
わがままで当たり前の時期に、私の枠に入れようと、押さえつけていたのだ、たぶん。
だから、今は、その時の分まで、悪態をつくのを許している。
許されることで、安心が得られるはずだと思っている。
悪態をついても、私はこの子がかわいい。
この子のことがかわいいのだ。
こればっかりは、親になってみないとわからないのかもしれない。
きれい事でも何でもなく、本当にかわいいのだ。
人としての成長は大切だ。
他の人より遅いスピードかもしれないが、この子なりに、確実に成長していると思っている。
私も、子をかわいいと思えることが嬉しい。